日本人ことはじめ講座は、日本人らしさゆえに世界を魅了する無名の日本人を増やします。

被災地に近づくにつれ、車内のおしゃべりは止み静かになりました。被災した町の様子に誰もが言葉を失って見入っていました。民家が5mを超える高さまで浸水するなんて・・・・実際に被災地を目にすると、その水量のすさまじさをうまく想像できませんでした。(被災地の写真は撮らないようにとの注意を受けたので現場の写真はありません)

現場入りするまで真備町がどんな状態かわからなかったのですが、道路や住宅地、田畑を覆いつくしていたはずの土砂はすっかり取り除かれ、一見何もなかったような町の様相に驚きました。水がひいたあと各家庭などで泥の掻き出しを手伝ったボランティアさんたちのブログを読むと、足元がぬかるみ異臭が漂う炎天の中、土砂を掻き出したり家財道具を屋外に出したりする作業は相当に過酷な様子で、作業の進みも遅いように思えたのですが・・・・災難に遭ったときの日本人の団結力を思いました。

同じ被災地でも広島県の呉市などはまだまだ土砂が残っており復旧の度合いは20%程度と聞く一方、真備町はわずか1ヵ月半で、どんな方法でここまで迅速に復旧したのか。次回真備町に行く機会があれば聞いてみたいと思います。

サテライトに到着後、2回目のオリエンテーション。ここで作業の場所と内容が決定します。初日、私たちが受け持ったのは、真備町の中でも一番被害の大きかった箭田(やた)地区にあるお宅でした。

 

サテライトで、運営スタッフから具体的な作業指示を受けます。

 

サテライトから現場までは送迎車で送ってもらいました。ボランティアで送迎を買って出ているドライバーさんご自身が被災者でした。今は避難所ではなく被災を免れた娘さんのお宅に身を寄せており、自宅はすでに解体したとのこと。「遠いところからボランティアに来てくれる方たちがいるのに、自分たちがじっとしているわけにはいかない。外に出ている方が気晴らしにもなる」。

サテライトから数分で、その日お手伝いをするNさん宅に到着しました。Nさんのご自宅も屋根の下まで浸水したのですが、解体ではなくリフォームをして奥様と二人で住み続けることにしたそうです。Nさんは近隣19軒をまとめる自治会の役員をなさっており、そのうち15軒が解体の道を選んだとおっしゃっていました。

東日本大震災後の被災地、石巻では、民家などの木造建築は津波でほとんど流されて何も残っていない景色を目にしました。一方、真備町では、どの建物も一見損傷なく残っています。外観もきれい。ですが、窓という窓が開け放たれ内部には何もない。家主と家財を失った空っぽの家並が見渡す限り続いていました。家はたくさんあるのに誰もいない・・・・。だから奇妙なほどに静かです。家全体が水と泥に浸かってしまうと中にあったものはほぼ廃棄、箸一本からそろえなくてはならない。水害とはその大きな喪失と向き合うことなのだ、と実感しました。

③へ続きます。